再び「一致について」

2023年07月15日 21:28
第30回CC2級技能士試験が終了し、第23回キャリコン国家試験も来週で終了しますね。

最近思うのは「一致」についてわからない(身に付けていない)まま受験に臨まれている方をお見受けします。

先日、塾生さんから「一致」について、こんな質問のような投げかけがありました。
「介護実習でCLが食堂で食事介助をする場面では、ご老人(利用者)との関わりを・・・
劇を見るのではなく、CLのそこ(劇の中に)に入るのですか」
「CLの世界の横に立ち、そばにいるようにするのですか」
「CLにリアル感で関わることですか」

私は「そうです!すべてYesです。よく気がつかれましたね!」と褒めました。
これまでに常に「リアル感を持って」「CLになりなさい」「CLになって考えなさい」と言ってきました。

では、ロジャーズは何て言っているのか。
「カール・ロジャーズ カウンセリングの原点」諸富祥彦著(2021年03月24日角川選書発行)に書かれている一部を紹介します。

「一致とは、体験していることと意識していることが正確に合致していることを示すために用いられる用語である。さらにそれを、体験と意識及びコミュニケーションが合致している、と言う意味に広げてもいいかもしれない。

おそらくその最もシンプルな例は、幼児に見ることができるだろう。

幼児が生理的かつ内臓感覚的なレベルで空腹を体験する時には、その意識は体験に合致しており、さらにコミュニケーションも体験と一致している。その子は空腹で満たされていない。そのことはどのレベルにおいても真実である。

この子はこの瞬間、空腹であるという現実の中に統合され、統一されている。

この子がおなかがいっぱいで満たされている時も、この子は内臓感覚的なレベルでも意識的なレベルでも、またコミュニケーションのレベルでも、同様に統一された一致の状態にある。

ほとんどの人が幼児に反応する一つの理由は、おそらく幼児が純粋で統合されており一致しているからである。(Rogers,1961) 」

特にアンダーラインの部分はいかがでしょうか。
「内臓感覚的なレベル」とは「CLそのものになることができる」と繋がっていると思います。
また、こんなことも書かれていました。

「一致」とは「リアルであること(being real)」(Rogers & Russell,2002)

「一致」とは何と何の一致か。「意識」と、私たちが内側で進行している「内臓感覚的体験」との「一致」である。

内側で進行している「内臓感覚的体験」に意識が向けられており、それに気づいている。

そして必要があれば、それを伝えることもできる。コミュニケートすることもできる。これが、「一致」である。

「カウンセリングしている時に、カウンセラーがひたすら自分を消してクライエントの気持ちに耳を傾けながらも、同時に、自分の内側の深いところも意識を向けていること。そこで起きていることに気づいていること。必要であればその気づきをカウンセリングに生かしていくことができること。これが「一致」である。」

さらにブライアン・ソーンの説明がわかりやすいので続けて紹介します。

ブライアン・ソーンが授業中に行っていた「一致」の定義も紹介しよう。

「一致」とは、セラピストがクライアントに深い「受容」と「共感的理解」をおこなっているときに、同時に自分自身に対してもつねに深い「受容」「共感的理解」をおこなっていることである。つまり、「一致」とは、セラピストの「自分自身に対する深い受容と共感である」。

「一致」自分自身の深い受容と共感)  = 「受容」 + 「共感的理解」相手) 

ほんもののカウンセラーは、自分自身を無条件に受容し、自分の内側から出てくるどんなものもただそのまま認める。また、自分自身のこころの声に常に共感的に耳を傾けている。これが「一致」であり、そうしながら同時に虚心にクライエントの話を聴き、クライエントを無条件に受容し共感的に理解していく。それがロジャーズ派のカウンセリングである。

いかがでしょうか?

ノウハウ集(FAQ)Q9-2:「一致(純粋)」についてから 諸富祥彦著「ほんものの傾聴を学ぶ」で引用したことと繋がっていませんか。